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名古屋地方裁判所 昭和58年(人)3号 判決 1983年12月09日

請求者 甲野花子

右代理人弁護士 大脇保彦

同 鷲見弘

同 大脇雅子

同 飯田泰啓

同 伊藤保信

同 村田武茂

同 谷口優

被拘束者 甲野春子

<ほか一名>

右被拘束者ら代理人弁護士 山田敏

拘束者 甲野太郎

<ほか二名>

右拘束者ら代理人弁護士 棚橋隆

主文

一  請求者の請求を棄却する。

二  被拘束者らを拘束者らに引渡す。

三  本件手続費用は、請求者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求者

1  被拘束者らを釈放し、請求者に引渡す。

2  本件手続費用は拘束者らの負担とする。

二  拘束者

主文一、三項と同旨

第二請求者の主張

一  請求者と拘束者甲野太郎(以下、「拘束者太郎」という。)は、昭和四九年一二月二日婚姻の届出を了し、それ以来拘束者太郎の父母である拘束者甲野松太郎(以下、「拘束者松太郎」という。)、拘束者甲野松子(以下、「拘束者松子」という。)の肩書住所地で同居し、昭和五〇年八月一二日生れ、現在八才の被拘束者甲野春子(以下「被拘束者春子」という。)を、ついで、昭和五二年一月一〇日生れ、現在六才の被拘束者甲野一郎(以下、「被拘束者一郎」という。)を儲け、共同して被拘束者らの監護養育に当って来た。

二  ところで、請求者は、かねてから、夫である拘束者太郎が家業であるクリーニング業に対し意欲を示さず毎日のように外出して遊びにふけり、家庭をかえりみない態度に不満であり、二子を儲けた後も、右拘束者はその態度を改める様子がなかった。そこで請求者は、夫としての資格に欠けるとして不信感をつのらせ、離婚し、自立して被拘束者らを養育していこうと決意し、昭和五八年六月二三日、被拘束者らを連れて前記住家から家出し、それ以来肩書住所地で被拘束者らを監護養育し、名古屋市A小学校に通学させ、共に生活していた。

三  ところが、同年同月二七日朝、拘束者太郎は、小学校の門前において、登校中の被拘束者一郎を同行していた請求者の制止を無視し、自動車に押し込めて連れ去った。その際、右拘束者は制止しようとした請求者に対し、その腹部等を手拳で強打したり、左手をねじ上げる等の暴行をなし、かつ、「手の一本や二本は折ってやる」と暴言した。

ついで、拘束者太郎は、その後前記小学校の校長、教頭、担任教師ら立会のもとに、請求者との間で岐阜家庭裁判所に係属中の離婚調停による話し合いがつくまで被拘束者春子を請求者に無断で実力で連れ戻さない旨の合意が成立しているにもかかわらず、右合意を無視し、請求者に無断で、同年九月五日朝、拘束者松太郎とともに、前記小学校の門前において、登校中の被拘束者春子を自動車に押し込み連れ去ってしまった。

四  その後被拘束者らは、肩書住所地の拘束者らのもとで拘束されているが、被拘束者らの父である拘束者太郎は、従来どおりの生活態度を改めず、もっぱら外出し、遊びにふけり、被拘束者らに対する監護養育は、極めて不十分である。

五  以上によれば、拘束者らは、請求者の意思に反し、被拘束者らを不当に拘束しているものであり、このような拘束状態が続くことは、被拘束者らにとって、請求者のもとで自由に監護養育される権利を奪うものである。

六  よって、請求者は、人身保護法二条、人身保護規則四条により、被拘束者らの救済を求める。

七  拘束者ら主張第二項は否認する。

第三拘束者らの主張

一  請求者の主張一の事実を認める。

同二のうち、請求者が昭和五八年六月二三日被拘束者らを連れて家出したこと、それ以来被拘束者らが請求者の許で監護養育され、請求者主張の小学校に通学していたことは認めるが、その余は否認する。

同三のうち、請求者主張の日時、場所において拘束者太郎、同松太郎が被拘束者らを自動車に乗せ肩書住所地に連れ戻したことは認める。その余は否認する。

同四のうち、拘束者らは、その肩書住所地において被拘束者らを監護養育していることは認める。その余は否認する。

同五の主張は争う。

二  (本件拘束に顕著な違法は存しないことについて)

人身保護法による救済の請求は、拘束の違法性が顕著である場合に限定されるべきであり、拘束の違法性が顕著か否かは、本件のように被拘束者が幼児の場合は、幼児が請求者によって監護養育される方が、拘束者によって監護養育されるよりも、幼児の幸福に適することが明白であるか否かを基準として決すべきである。

右の見地に立って考えると、拘束者らは、被拘束者らに対する監護能力、居住環境、経済的能力のいずれの面からみても、請求者よりはるかに秀れており、被拘束者らに対する愛情においても、請求者に優るとも劣らない。したがって、被拘束者らは、請求者によって監護養育されるよりも、拘束者らによって監護養育される方がはるかに幸福であるから、本件拘束に顕著な違法性はない。以下にこれを詳述する。

1  請求者と拘束者太郎は請求者主張の日時に婚姻の届出を了し、それ以来拘束者太郎の父母と同居し、二児を儲けたが、請求者は、非常にわがままな性格で、さしたる理由もなく、家出することが度々あり、昭和五六年八月ころより約一年間単身家出していたが、昭和五七年八月ごろ、自己の非を詫びて、拘束者ら宅に戻ったのである。ところが、請求者は、さしたる理由もないのに、昭和五八年六月二三日に再び家出したが、その際拘束者らに無断で通学先の羽島市B小学校から被拘束者らを連れ出した。

本件拘束は、被拘束者らの身を案じた拘束者らが被拘束者らの生家である拘束者らの自宅に連れ戻したのであって、本件拘束は、前記のような、請求者の理由なき家出と無断連れ出しに起因するのである。

2  請求者は、羽島市所在の実家の父母からも絶縁されているのでその援助は期待できず、現在、知人のアパートを賃借して居住し、和服仕立の見習をしており、その生活能力は、経済的に極めて弱い。

3  これに反し、拘束者らは、羽島市の肩書住所地に鉄筋三階建の店舗兼居宅を有し、同所でクリーニング業を同族で営み(拘束者太郎は、クリーニングの洗濯仕上を主たる業務としており、真面目に仕事をしている。)、一月平均七〇万ないし八〇万円の純益をあげており、経済的に安定し、住宅環境も良好である。

そして、被拘束者らを監護するに拘束者ら三名が強い愛情を持って行なっている。また、被拘束者らは、拘束者らの肩書住所地で長年育ってきて、友達にも恵まれ、現在、すこやかに生活している。

4  以上のとおり、被拘束者らの将来と、その幸福を考えると、被拘束者らの監護養育者は、請求者より、拘束者らの方が相当であることは明らかである。

第四疎明関係《省略》

理由

一  拘束の存否について

1  請求者が拘束者太郎とその主張の日時に婚姻の届出を了し、それ以来拘束者太郎の父母である拘束者松太郎、同松子夫婦の居宅において同棲し、請求者主張の日時に被拘束者らを儲けたこと、現在被拘束者春子は八才、同一郎は六才で幼少者であること、請求者が昭和五八年六月二三日被拘束者らを連れて家出し、肩書住所地に居所を定め、被拘束者らを名古屋市A小学校に通学させていたこと、拘束者太郎は、同年同月二七日被拘束者一郎を、右拘束者及び拘束者松太郎は同年九月五日被拘束者春子を、それぞれ、請求者に無断で、前記小学校門前において自動車に乗せて連れ戻したこと、現在、被拘束者らは、拘束者らの肩書住所地において、同人らにより監護養育されていること、以上の事実は、当事者間に争いがない。

2  右事実によれば、被拘束者らはいずれも小学校低学年の幼児であり、意思能力の無い者であることは明らかである。そして、意思能力のない幼児を監護するときは、当然その幼児に対する身体の自由を制限する行為を伴うものであるから、その監護自体が人身保護法及び同規則にいう拘束に当たると解される。

従って、拘束者らは、被拘束者らを拘束していると認められる。

二  拘束の違法性とその顕著性の有無について

1  《証拠省略》によれば、請求者は、拘束者太郎を相手取り、昭和五八年五月一六日に離婚、親権者指定、養育費等請求の調停事件を申立て、右事件は、岐阜家庭裁判所昭和五八年(家イ)一九六号夫婦関係調整事件として、同裁判所に係属し、同年五月二七日、六月二一日、七月五日、二二日、九月二日、二九日と六回に亘り調停期日が開かれたが、不調となったことが認められる。

従って、請求者の被拘束者らを連れての家出及び拘束者太郎らの被拘束者らの連れ戻しは、右調停事件係属中になされたものであり、いずれも、その手段、方法において妥当性を欠くと評し得るが、いまだ、法令の定める手続等に著しく違反していることが顕著であるとまでは認められない。そこで、本件拘束の違法性の有無については、その拘束がどのような手段、方法により開始されたかということよりも、幼児である被拘束者らを請求者、拘束者らのいずれに監護させるのが被拘束者らのために幸福であるか否かを主眼として決すべきである。

2  よって進んで、右見地から本件をみるに、《証拠省略》を総合すると、一応次の事実が認められる。

(一)  本件拘束に至る経緯

(1) 請求者と拘束者太郎は、いわゆる見合結婚で、挙式後前記のとおり、拘束者太郎の父母である拘束者松太郎、同松子方居宅において同棲し、二児を儲けた。

拘束者太郎は、家業であるクリーニング業を、父、弟次郎と共に営んでいたが、その実権は、父である拘束者松太郎が掌握し、請求者夫婦は、同人から月約一〇万円程度の支給を受けていたが、正規の給与という形式ではなかった(生活費等は、父母と同一世帯であるので不要であった)。

拘束者太郎は、主として洗濯仕上げの現場を受持っていたが、父松太郎が、クリーニング業の利益を、殆んど弟次郎の独立資金の貯蓄にあてていることに不満であり、そのため仕事に対する意欲が出ず、加えて、自営業であるため比較的時間に余裕があるため、日中から外出して喫茶店に行ったり、趣味である詩吟(師匠格)に熱中し、そのため時々夜外出し、深夜帰宅することがあった。

(2) 請求者は、かねてから、長男である拘束者太郎に対する父松太郎の前記のような処遇の仕方や、それに起因すると思われる拘束者太郎の日常の生活態度に不満を覚えており、時々、太郎に対し、外出の多いこと、夜遅くなってからの帰宅について難詰し、口論したりしたが、太郎の行状は、従前と同じであったので、次第に夫婦間に風波が立つようになった。このような生活が続く間に、請求者は、昭和五六年八月ごろ、別居を決意し、その旨の置手紙を残して家出し、別居生活に入ったが、翌年八月請求者に拘束者太郎から、これからは生活態度をあらためるから帰宅するよう要請されたので、二児のためにも、戻った方がよいと考え、義父母である拘束者松太郎らに家出したことを詫び、再び帰宅した。

しかし、その後を拘束者太郎の生活態度が以前と少しも変らなかったので、請求者の拘束者太郎に対する不信感は益々つのり、遂に離婚を決意し、前記のとおり昭和五八年五月一六日に岐阜家庭裁判所に離婚、親権者指定等の調停申立をなすに至った。

(3) 同年五月二七日、六月二一日の二回に亘り調停期日において、請求者は、離婚と二児の親権者を自分とするよう主張したが、拘束者太郎は、いずれも拒否し、双方の主張は平行線をたどった。

かくするうちに、生来勝気な性格である請求者は、同年六月二三日再び家出を決意し、これを知った拘束者太郎が、二児のためにも家出をやめるよう懇請したが、請求者の決意は変らず、即日家出し、かつ、拘束者らに無断で二児を連れ出し、二児の通学先を、羽島市B小学校から名古屋市A小学校に転校する手続(被拘束者春子は二学年、同一郎は一学年)をなし、同日以来肩書住居に移り住んだ。

(4) その後同月二七日に被拘束者一郎を、九月五日被拘束者春子を拘束者らが連れ戻したことは、前記のとおりであり、連れ戻しは、いずれも請求者に無断で登校途中の二児を小学校門前において自動車に乗せてなされた。拘束者らの右連れ戻しは、拘束者太郎の懇請にもかかわらず、請求者が再度の家出をなし、しかも、請求者が、二児を無断で連れ出したうえ、転校手続までしたことに起因している。

(二)  請求者の現在の生活状況

請求者は、現在、名古屋市内で、賃料月額三万六〇〇〇円の民間アパート(二DK)に住み、婚姻前に一時習っていた和裁で生計を立てるべく、右住居近くの乙山和裁研究室で和裁技術を習得中であり、昭和五八年一二月ごろ開業予定で、開業すれば月に約一〇万円程度の収入が見込まれている。現在の生計は岐阜県羽島市で農業を営む実家からの若干の援助と従前の貯金等で賄っており、実家は今後の援助も約束している。和裁業は、自宅でする予定である。

しかし、近い将来において請求者が和裁業を自営した場合、被拘束者らと共に生活するに十分な収入が得られるか否かは、必ずしも明らかではない。

(三)  拘束者らの現在の生活状況

拘束者らは、鉄筋コンクリート造三階建の自宅兼店舗において、拘束者太郎の弟である甲野次郎夫婦(昭和六〇年ころ独立して開業予定)とともに、クリーニング業を営んでいることは前記のとおりであり、その純益は月額約七〇万ないし八〇万円は下らない。住居としては、右店舗兼用の一棟の他に、その裏に鉄骨二階建の一棟がある。被拘束者らの日常の世話は、主として拘束者松子(祖母)と弟次郎の妻がしており、被拘束者らは、祖父母の住家(前記裏の二階建)で起居しており、拘束者太郎は、休日等には、被拘束者らを遠足等に連れて行ったりしている。

(四)  被拘束者らの現状

被拘束者らは、父母の不和に起因し、連れ出されたり、連れ戻されたりして、幼児なりに心を痛めていたが、現在は、住みなれた生家にあって、姉弟一緒に暮し、元通学していた小学校に戻り、友達も出来、元気に生活しているが、二児共に拘束者ら方で姉弟が一緒に暮すことを熱望している。

(五)  請求者、拘束者太郎の被拘束者らに対する愛情

双方共に二児に対する愛情には、当然のことながら甲乙をつけ難い。

請求者の前記約一年に亘る別居生活時においても、請求者は常に二児のことが念頭をはなれず、時折その消息を問い合わせたり、自分の手許に引き取りたい旨要請したことがあった。

3  以上に認定した事実によれば、請求者、拘束者太郎の夫婦関係破綻の原因につき主として有責なのは、いずれであるかの点は、しばらく措き、双方が二児に対し、母又は父として強い愛情を抱いていることは明らかであり、請求者は、調停において離婚と二児の親権者に自己がなることを強く求めたが話し合いが平行線をたどり、容易に合意が成立する見込がないので別居を決意し、非常手段として、二児を拘束者らに無断で連れ出し、転校させたのであり、請求者の右所為は、請求者にとってみれば、母としてのやむを得ない手段であったと評しうる余地も存する。

しかしながら、一方拘束者らにとってみれば、二児は、拘束者らの自宅を生家として成長し、自宅近くの小学校に通学していたのであり、離婚原因が太郎に存することなど考えたこともなく、一年間に亘る請求者の無断家出による別居を宥恕し、再び妻、嫁として迎えいれたのであるから、請求者の前記所為を言語同断の所為なりとして、二児を連れ戻したのであり、この連れ戻し行為を目して非難することもできない道理である。

しかして、被拘束者ら姉弟は共に仲が良く、一緒に暮すことを熱望しており、現在の生活に満足しているのであり、また、客観的に見て二児に対する養育環境は種々の点から見て、請求者宅より拘束者ら宅の方が良好と判断される。

してみると、請求者が被拘束者らを引き取り、同人らを監護養育する方が、拘束者らが被拘束者らを監護養育するよりも、被拘束者らの幸福に適するとはいえず、従って、本件拘束者を以って、被拘束者らにとって幸福でないことが顕著な場合とみることはできないから、本件拘束に違法性が存するとは認められない。

三  よって、請求者の本件人身保護請求は理由がないから棄却することとし、本件手続費用の負担につき、人身保護法一七条、人身保護規則四六条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本武 裁判官 稲葉耶季 藤田敏)

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